塗料の歴史④ ~アスファルトとタールについて~

アスファルトとタール

どの資料にも書いてあるのが、

「アスファルト」という単語が英語に現れはじめたのは、原油の利用が一般的になり始めた18世紀に至ってからだということ。

このため、ギリシア語の「ασφαλτοσ(asphaltos)」が英語にそのまま外来語として定着したのです。

 

古代ギリシアでは建物のレンガが倒れないよう固定するため、天然アスファルトが使用されました。

それに由来し、ギリシア語の「a-(~でない)」+「sphállesthal(倒れる)」が変化したもので、硬くして確実に固定することを意味すると言われています。

 

その性質は、それ自体接着剤であり水を透しません。

動物の骨や皮を煮出して取り出したゼラチン質を利用した膠、口にするものに使用しても化学的影響のない漆など、様々なものが接着剤として使用されていましたが、アスファルトは接着力が強かったので力がかかりやすいものに使用するのに最適でした。

 

現代の石油を精製したアスファルトは、塑性(力を加えて変形させると、永久的に変形する性質)の物質で、骨材と混合すれば軟らかさをコントロールできます。

酸やアルカリ、塩分にも強く、常温では半固体ですが加熱すると容易に溶け、また揮発性の油にも溶け、水も乳化させることができます。

 

 

日本でのアスファルト

日本の歴史の礎となる日本書紀には、第38代天智天皇7年(668年)7月「越の国より燃土、燃水を献る」との記録があります。

越の国とは、越前、越中、越後を含む、広範囲な地域とされています。

当時は珍しい物品があると天皇に献上する習慣があり、越の国からは採掘された燃える土、燃える水が献上されたようです。

 

この越の国は、のちの調査で(歴史的背景や地政学的な知見から)新潟県胎内市黒川周辺が日本最古の原油献上地と認定されました。燃える土についても、「石炭」と表記する文献があるなど諸説ありましたが、原油との関係性からアスファルトではないかと言われています。

 

アスファルトは、日本海側の石油鉱床地帯に産地があります。

矢じりと矢柄の接着に使われることが多かったようで、三内丸山遺跡からは、約5000年前の、基部に黒色アスファルトの痕がある矢じりが数多く出土しています。

 

一方、北海道の豊崎N遺跡では、縄文時代中期の終わりごろ(約4000年前)から後期のはじめごろ(約3000年前)に深鉢形土器にアスファルトの塊が入ったものが出土しています。

この時期のアスファルトの使い道は、矢じりを矢柄に固定するだけでなく、土器を補修したりするのにも使われています。

(話は反れますが、この時のアスファルトは分析の結果、秋田県槻木産であることがわかっており、縄文時代の交易を考える上でも重要な資料となっています。)

また、アスファルトは同じ豊崎地区に位置する豊崎B遺跡からも出土しており、これにはアワビの貝殻にみられる痕跡が確認され、アワビの貝殻を容器として使用していたこともわかっています。

 

場所は変わって北海道函館市のの磨光B遺跡では、アスファルト加工工房跡が見つかっています。溶かしたアスファルトを塗る為のパレット(土器片)も出土していることから、大量に保管したアスファルトを加工し、更には使用まで行う、専門技術集団の存在が伺えます。

 

 

 

別の説では、日本の天然アスファルトのルーツは秋田県昭和町であるとも言われています。

豊川油田です。古代にアスファルトを意味した「草生土(くそうど)」がそのまま地名にもなっています。

(ちなみに石油は「草生水(くそうず)」と言います。新潟県に草生水献水場があります)

 

 

 

アスファルトの歴史

古代メソポタミア文明

紀元前3800年ごろのチグリス・ユーフラテス河流域、現在のイラク地方に誕生した古代メソポタミア文明において、天然アスファルトが大規模に利用されるようになりました。

ここは言わずもがな石油の産地。

当然天然アスファルトも豊富にあり、人々は「モノとモノをくっつける」ために利用していました。

イラクのウル地方から出土した壁画、「ウルのスタンダード」は紀元前2700年ごろの壁画ですが、貝殻や宝石を天然アスファルトで接着して描かれています。

 

 

古代バビロニア帝国

 

古代メソポタミア文明の技術を継承した古代バビロニア帝国では、

天然アスファルトによってレンガを固め、巨大で堅牢な建築物を数多く造ったり、道にレンガを敷き詰めて、それを天然アスファルトで固定したりしていました。

天然アスファルトの固着力が、当時としては驚異的な建築技術を可能にしたのです。

旧約聖書に出てくる「バベルの塔」は、古代メソポタミア文明の人々の間で語り継がれていた物語が原型だとされていますが、

その実在が古代バビロニア帝国の首都「バビロン」で確認されています。

 

「貼る」「くっつける」ことは、新しい価値をうむことでもあります。それはまず、天然アスファルトから始まったのです。

 

 

 

現代のアスファルト

アスファルトは、道路舗装(アスファルト舗装)、防水、土木材料、制振材、防音材、接着剤、絶縁材料など、多くの用途に使用されていますが、

 

現在最も多様されているのが、やはり道路舗装用用途です。(写真参照)

 

アスファルトが道路舗装に本格的に用いられるようになったのはロックアスファルト(rock asphalt/多孔質の石灰岩や砂岩中に滲み込んでできる塊状の天然アスファルト)が発見されて以降と言われています。

(バビロニア時代に道路のレンガを接着するのにアスファルトが使われたと申しましたがそれはあくまで接着目的であり、舗装ではありません)

1800年代半ば、スイスのロックアスファルト鉱山の技士M.Merianが、運搬中に荷車からこぼれたロックアスファルトのかけらが荷車の車輪で砕かれ、踏み固められて自然に良好な路面になっていることを発見します。

これを、ロックアスファルトを加熱し敷き均し、平坦に転圧する工法で、人工的にアスファルト舗装を施すのに成功しました。これが近代のアスファルト舗装のはじまりです。

 

 

接着・舗装以外のアスファルト

約7000年前、メソポタミア人の作った天然石膏の女性肖像には、頭髪を黒く表現するために天然アスファルトが塗られています。

「塗る」という行為は、人類の日常生活が文化的な生活へと進展する頃にはじまります。すなわち、人類の人間的生活の中には、常に「塗る」という行為が行われていたのです。

 

アスファルトは、昨今も金属の防蝕に使われているし、甲冑の防錆や着色にも使われたり、寺院・仏閣などの建築物、会津・輪島などの漆器にも使われていますが、エジプトのミイラにも、防腐剤としてアスファルトが塗布されているのです。

 

 

 

 

アメリカ合衆国ケンタッキー州の田舎州道路655号線沿いに   Asphaltと言う町があります。町の名前の由来をいろいろ探ったのですが出てきませんでした。

代わりに道路をアスファルト舗装する会社や舗装現場の写真が一杯出てきました。

 

 

タール塗料

アスファルトの話題が長くなってしまいましたが、アスファルトと一見間違えやすいのが、黒くてネバネバのコールタール塗料です。

コールタールは、石炭を蒸し焼きにして作るコークスの副産物で、近代になってできたものですが、英語版Wikipediaでは1665年ごろ発明され、1800年代の早い時期に医療目的で使われた、とありました。

Coal tar was discovered around 1665 and used for medical purposes as early as the 1800s

タールが持つ殺菌作用特性のために使われました。

 

古代ギリシアでは木材からタールを生産しており(木材を蒸し焼きにした時に出るガスを冷却すると液状物になり、それを時間経過させると木酢液(上)、木タール(下)の2層に分かれます)、中世から近代まで木造船には必ず木タールを防水と腐食防止目的で船体と帆に塗っていました。一番のお客様は大英帝国海軍だったそうです。

 

名前の由来は、北欧の松の木や根に由来する物質を指す「タール」からだと言われています。北海や大西洋だけでなく、地中海まで遠征し、イスタンブールのモスクに落書きしたバイキングも使用しました。

タールに漬けた苔で船体に耐水性を持たせました。秋、船体にタールを塗り、冬の間にタールが乾くように船小屋に放置したようです。北欧の冬は極寒で、乾くのか不思議ですが、湿度が低いと乾くのでしょうか。

 

 

当方一番の興味は、コールタールを生産なさっている岡山県にある「有限会社山陽タール」の代表様が、「コールタールは塗料の父」と仰っているのですが、

では、母はどれ? と聞いてみたいです。

 

 

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